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大神輿

半纏  かつて鐵砲洲の河口に位置し、沖に向かって船待ちするところから、江戸の洒落で船松町と呼ばれた町。明治、大正を経て、昭和十七年、船松町と新湊三丁目が合併されて湊三丁目となった。
昭和三十九年、佃大橋が完成し、佃の渡しがなくなるとともに、昔日の町のたたずまい、風情が大きく変わった。しかし、関東大震災、東京大空襲など、隅田川で亡くなられた方々を手厚く弔ってきた町の人々の心は、今もお盆の無縁様供養として受け継がれている。
「歴史は古し鐵砲洲、佃の渡しや防波堤、流れは今日も隅田川、戦火をのがれ復興に、五月の空に澄み渡る、粋な若衆の勇み肌、江戸の名残りの祭礼に、われらの神輿は湊三」 昭和五十三年、町会三十周年につくられた歌の一節である。祭りは、鐵砲洲の歴史と湊三の心意気が一つに融け合うときだ。

神輿の説明