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大神輿

半纏  慶長十七年(一六一ニ年)江戸の城下に三十軒堀が開削され、その東側に南北に細長く旧名木挽町ができた。その名の由来は、江戸城築城のとき、木挽き職人を多く住まわせたためとも言われている。明治になって新しい行政区分が作られ、第一大区十小区京橋四之部に属した。銀座一丁目から八丁目東地区を現在も京橋四之部と呼んでいる所以である。
 伊達家、鍋島家の大名屋敷、旗本屋敷、江戸歌舞伎の森田屋、山村屋(現在の歌舞伎座、新橋演舞場)があり、近年では、日本最初のフライ級世界チャンピオン白井良雄氏を育てたボクシングホールもあった。南西には、粋な花柳界、今も老舗の料亭が営業している。
 昭和二十七年に鐵砲洲稲荷神社例大祭が復活し、町会の大神輿も新調された。当時の祭礼は、表と陰の隔年で、ウイークデーが主流であった。鳳輦が船で京橋川、築地川を巡行し、船から長い竿の先で器用にお賽銭を受け取る風景も見られた。現在は、三年に一度だが、歌舞伎座のご好意による玄関前で四之部の連合渡御は圧巻である。 これからも研鑚を重ね、この江戸より四百年も続く伝統文化を次代につなぐためにも、ビルの谷間に「和し背負へ・わっしょい」の声を響かせよう。

神輿の説明